2005年11月に社会復帰いたしました! ページの更新ができておりませんが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
|
私は現在国立のハンセン病療養所にいます。森田隆二です。住居は、鹿児島県名瀬市和光町1700番です。園名奄美和光園です。全国で一番小さい療養所です。 現在の入所者数68名です。看護・介護・事務職員合わせて120名あまりいます。園の平均年齢は80歳。唯一若い入園者です。(若いのは、ハンセン病療養所の中だけです。)
皆様ご様ご存知の事と思いますが、ハンセン療養所では、入園時に名前を変えます。 私は森田隆二と言う園名を使用いたしています。本名は Moriyama Kazutaka と申します。これからぼつぼつHPを作成します。ここにて、ハンセン病の事を発信します。
和光園HP http://www.hosp.go.jp/~amami/index.htm
私は昭和43年7月26日に国立療養所奄美和光園に入園いたしました。その日は一生脳裏から消えません! 私の人生を大きく変えました。年はちょうど20歳前の働き盛りの時期でした。あれから40年近く療養所暮らしです。 私の健康度は職員と変わらない程度の健康度です。たった一つの法律またボタンの掛け違えで、人生が大きく変わりました。
私と同じ時期に入った職員(??)は、現在40年近くたって現場の介護長の肩書きで、結婚し自宅を立て、家族水入らずで幸福な日々を過ごしています。 「らい予防法廃止」が後15年・20年早かったら、私の人生も大きく変わっていたと思います。しかし、過去を言い出したら、きりがない。 そこで「らい予防法違憲国家賠償訴訟」に参加しました。運動を続けて、多くの方の仲間と出会い世話になり、又親交を深めました。現在その方たちに支えられ、私も社会復帰に挑戦することにしましたが、それには大きな問題三つクリアしなければなりません。ひとつクリヤしましたが、残り2つが未だです。
それらの、問題をひとつづつ片付け、今年中には、復帰を致したいと思っています。
また私がこれまでの啓発活動にて、一番記憶に残っているのは、知人の大学の教授である「近藤功行」先生であります。 彼のすすめで、「らい予防法違憲国家賠償訴訟」運動中に彼の勤務されている「鹿児島志學館大学」で講義をしました。
そのような中で、私から、学生に講演内容と私の設問に応えて頂きました。 私は近藤先生を通して、プリントを作成しいくつかの項目に分けて応えて頂いたので、ここに公開いたします。 現在は「沖縄キリスト教学院大学人文学部」で、人間学他色々と幅広く活躍されています。医学博士の肩書きもある雄一の私の友人であります。
→「志學館大学」での講義の記録へ
|