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胎児標本問題について!


 

栗生楽泉園の自治会機関誌『高原』に掲載された谺雄二さんの文章を紹介したい。


「記録なし」
 
―栗生楽泉園での胎児標本問題について―

谺 雄二     


 2005年3月、ハンセン病問題に関する検証会議は、1500ページにわたる『最終報告書』を厚労省へ提出した。その内容は、政界・医学界をはじめ皇室・教育・宗教・福祉・法曹・マスコミ等々わが国のすべての分野が、こぞって政府の誤ったハンセン病政策に手をかしている事実―まさに国家犯罪そのものの検証である。同時にこうした国家犯罪によって私たち患者が受けた被害は、熊本判決がまさに「人生被害」と称したほど徹底的なものだった。もちろん検証会議はこれを別冊「ハンセン病問題に関する被害実態調査報告」として『最終報告書』に添えているが、さらに加えた別冊「胎児標本調査報告」なるそれは、「今回の検証事項の中で、この胎児標本の問題ほど、入所者の人間としての尊厳を傷つけているものはない」とし、またこの胎児標本は遺族の承諾もなく、そのうえこの標本作りの目的や、多くの胎児の身元すら判明せず、しかも中には新生児まで含まれている疑問など、歴史の検証はじつにこれからというのが実情である。

 私も検証会議の一員として、国立13、私立2の各ハンセン病施設における検証に参加してきたが、現在胎児標本の存在する松丘保養園、多磨全生園、駿河療養所、邑久光明園、星塚敬愛園の五カ所でそれをこの眼で確認。しかしあまりの痛ましさに正視できず、唇を噛み締めるばかりだった。なお以上五ヶ所のほかにハンセン病研究センターにも胎児標本が存在し、これらをあわせるとその数は一一四体にのぼる。

 この検証会議の『最終報告書』で注目を集めた「胎児標本」問題は、やはり国にとってさすがに迷惑らしく、昨年11月厚労省国立病院課名で各園に対し次の「通知書」を送ってきた。当園施設側から私たち自治会にもこれが届けられたので、ここに紹介しておく。


胎児標本の取扱いについて

 各施設におかれては、胎児等標本(胎児標本、手術摘出材料、病理標本)の取扱いについて、下記の方針(案)をたたき台として、それぞれの自治会と協議を行った上、12月5日までに、その基本方針についてまとめ、国立病院課あて提出願いたい。

一、胎児標本について

1. 推定月数の如何にかかわらず、各施設において、丁重に焼却、埋葬(合祀)、供養及び慰霊を行うものとする。
なお、入所者が胎児標本を引き取った場合、その焼却等の費用については、必要と認められる範囲において各施設が負担することとする。
また供養等の時期については、今年度中に行うこととする。

2. 焼却後の遺骨については、当面納骨堂に合祀することとし、その後の慰霊碑建立等については、それぞれの自治会の意向を尊重することを基本とし、国立病院課において検討の上、対応するものとする。
  ※ 慰霊碑の規模については、来年度の建立の可能性あり。

3. 胎児標本の存否については、各施設から一律に親に知らせることはせず、焼却前に、入所者等の求めに応じて、自らの胎児標本の存否を確認する機会を一定期間(一ヶ月程度)設けることとする。

胎児標本の存否について、ご存命の親が知らされることの精神的負担が大きいことに配慮した案であり、各施設の現状に照らし、別案があればそれを提示すること。

4. 異状死の届出(医師法第二一条)については、本件胎児の存在は既に公知の事実となっていること等から行わないこととする。
また、検視の申出(刑事訴訟法第二二九条)については、警察庁及び法務省と協議した結果、本件として立件できる見込みがない等の理由から、行わないこととする。

二、手術摘出材料、病理標本について

1、 現存するものについては、入所者の医療、及びハンセン病研究のために真に必要なものと施設長が判断するものを除き、各施設において焼却の上、丁重に処理することとする。

2、今後の手術摘出材料、病理標本の適正管理を行うため、CAP(米国臨床病理医協会)等の基準を参考として、今年度中に各施設毎の管理規定を設けることとする。

三、その他

1、施設内における研修等を通じて、医療倫理の徹底を図ることとする。


 以上がその全文だが、「丁重」とか「慰霊」とか言いながら、じつは「証拠隠滅」へ汲々たること、見ての通りである。ましてその「時期」を「今年度中」―すなわち今年三月中と指定するこのあまりにも恥知らずな厚労省の態度に、私たちが憤激を新たにしたのは言うまでもない。そして同時に私たち自治会は、ハンセン病研究センターより、当園の胎児標本一体を「預かっている」旨の知らせを受けた。その胎児の親の名も示されてである。もちろんこのことは私たち自治会やその胎児の関係者に内密だったのが、この厚労省国立病院課の「通知書」による処分を行うため知らせてきたのだ。

 自治会はその胎児の関係者に対し、直ちにこの事実を報告し、率直な意向を質した。その答えは「まず国に謝罪してもらいたい。また当園には他にも胎児標本があったと聞く。それらはどうなったのか? できれば同じく標本にされた他の胎児の存否とその理由を確かめたうえで、共に葬ってもらいたい」とのこ。これは私たち自治会の見解と一致しているものだったので、直ちに藤田会長から東園長へ「当園に存在した胎児標本の調査」を申し入れたのだった。当園には一九三二年開園以来の全入所者のカルテが保存されており、東園長は自らこの内の女性入所者のカルテをチェックした結果、私たち自治会に対して次のような調査報告をしてきた。


S8〜H17 在園死亡者女性(退園者・転園者を除く)473名

 **** S15、10、11日予定日→出産
 **** S12、人工中絶 9、22所見
 **** S25、8、10中絶 
        7、29妊娠三ヶ月
 **** S16、1、15中絶 四ヶ月
         11、10再度妊娠
 **** S36、7、7中絶
 **** S30、10、15?死産
 ****  二回出産→死亡
         S25、4、2異常出産 男
 **** S27、6、12中絶 3〜4ヶ月
 **** S16?11、26中絶 2ヶ月
 **** S15、10、5中絶 2〜3ヶ月
 **** S24? 6、26中絶?
 **** S25、10、10中絶

 

 
 当園入所者女性のカルテからの調査では、出産・中絶等の記載は以上の12件でしかないこと。またそのなかでも2〜3ヶ月等の中絶が多く、これらの胎児の標本化はないだろうが、「出産」とある2件さえ標本に関わる記載はまったくないというのである。さらにおかしいのは、私が多磨全生園から当園に転園してきた1951年当時「堕胎」の事実があった二人の女性(いずれもすでに死亡)のカルテにもその種の記載なしと聞き、入所者のカルテなどいかに杜撰なものか改めて思い知らされたしだいだ。だいいち先にふれた当園からハンセン病研究センターへ移されていた胎児標本の一体もその二人の女性のうちの一人であることが判明しているのにである。それだけではない。もう一人の女性の夫で現在も当園に入所中の桜井哲夫氏は、「私たちのその子は確かに標本にされた」と私に語ってくれているわけで、カルテのいい加減さがいっそう明らかというほかない。

 この二人の女性のカルテの問題で、なおどうしても言及しておかなければならないのは、1916年光田健輔が私たちハンセン病患者に強要し、以来それが各園で公然と行われ続けてきた断種・堕胎は、そんな法律などない中でのまったく「無法の仕業」だった。しかし戦後1948年制定の「優生保護法」に、これまた不当にもハンセン病がその適用条項の一つにあげられ、私たちはこの国のあまりの非道さにまたしても愕然としたのだが、問題の二女性の場合、その「優生保護法」制定後にもかかわらず、カルテに「堕胎」の記載が一切ないということは、少なくとも当園では「優生保護法」さえ無視して非合法裡の堕胎が行われていたことになり、只々唖然とせざるをえない。

 こんな状態だが、ハンセン病問題に関する検証会議の調査時における当園の回答は「標本の存在なし」だった。だがこれまで述べたように、厚労省の例の「通達」によって当園の胎児標本一体がハンセン病研究センターに預けられていることが判り、その胎児標本が返されてくるので、当園にも「胎児標本が存在する」と表明し直さなければならない。同時に他にも存在した筈の当園の胎児標本は果たしてどうなったのか。この件だが、昨年私が偶然にも施設保管の次の書類を入手したことで、はじめて明るみに出たといっていい。その問題の書類とは次のものである。

昭和五八年一〇月一日
解剖臓器並びに手術後臓器の焼却について

昭和八年より昭和五八年までの間、不用となった標記について、下記により、草津町において焼却の依頼方よろしいかお伺いします。

        記

  一、日時 10月6日〜7日
  二、場所 草津町火葬場
  三、数量 棺箱


 この書類には当時の園長小林茂信氏以下施設各幹部の捺印があり、「決済済」の印鑑もはっきりと捺されている。また文中にある「草津町火葬場」とは現在の「吾妻郡西部火葬場」と理解していいだろう。しかしこの書類にはどこにも「胎児標本」の文字はないが、ほかにその処理方法が考えられなかったので、ともかく私は施設側に率直に質した。「この臓器類のなかに胎児標本は含めたのか?」と。答えは曖昧だが「そうだと思う」とのことだ。やはり当時の施設当局も「胎児標本」に自らの罪悪感を否めず、こうして証拠隠滅を図らざるをえなかったに違いない。とはいえ、胎児の親にも内密裡に処分するとは何事か。それら胎児の親の多くは当時死亡していたかもしれないが、「自分の子は胎児標本にされた」と私に告げてくれた桜井哲夫氏にこの書類の内容を知らせると、「自分には何の通知もなかった」と激しく怒った。当然である。

 では桜井氏の子以外に、その際、何体の胎児が焼却処分されたのか。このことに関しては本誌『高原』(2005年8月号)所載の沢田五郎氏の文章「胎児の標本について」の中で取り上げられている。それによると、当園検査室勤務だった元職員の記憶で「12体ぐらい」とのこと。また同じ文中で沢田氏は、胎児焼却に当たって当時の小林園長が執った措置―つまり発病前に僧侶の経験を持つ入所者及びその宗教関係者二名に依頼し、「焼く前に経をあげ、供養した」ことにもふれているが、やはりこの程度の配慮で済まされることではない。だいいちそこで焼却処分された胎児の親の一人である前述の桜井哲夫氏に、事前に何の通知もなされなかったのはなぜなのか。また宗教関係者に「供養」を依頼しながら、当時すでに施設側と常時活発に折衝していた入園者自治会に対してさえ一切連絡がなかったのは、この胎児焼却処分に被うべくもない「証拠隠滅」のややこしさがあったからだろう。いずれにせよ不明なことばかりなので、私たち自治会は今年2月24日、藤田会長名で東園長あてに次の「質問書」を提出した。
  


胎児標本に関する質問書

標記の件に関し、下記の項目について質問いたします。

一、カルテ調査の結果について

 この調査については先生のご努力により、当園開設以来の全女性入所者のカルテを調査いただいたが、結果は三ヶ月〜四ヶ月中絶等で胎児標本に至る記録は見当たらない。しかし私たち自治会調べでも、****氏(昭和28年12月13日死亡)と****氏(平成15年11月8日死亡)の場合、昭和26年頃それぞれ手術により子を堕ろしており、また胎児標本化されている。にもかかわらず双方ともカルテには何ら記入されていないことがこの調査で判明。昭和二六年頃といえば、すでに「優生保護法」が制定・施行されていることから、優生手術の事実さえカルテ記入なしでは、この法律にも違反しているとみなさざるをえない。この点ご回答願いたい。


二、胎児標本の処理について

 当園機関誌『高原』(2005年8月号)掲載の沢田五郎氏の文章「胎児の標本について」によれば、検査室勤務だった元職員山田誠作氏の記憶では当園にあった胎児標本は「十二体ぐらい」とある。これが事実なら、この胎児標本は現在どこに保存されているのか。いや保存されていない。同じく沢田氏のその文章でもふれている通り、当園の胎児標本は推察するところ、昭和58年に開園以来の「解剖臓器並びに手術後臓器」と共に、草津町火葬場で「焼却」されてしまっているからである。(添付資料参照)。

 ついてはこれが事実ならば、当時の元施設幹部の協力も得て、次の諸点について回答願いたい。@「焼却」は厚生省の指示によるものか。Aまたは施設当局の判断によるものか。Bそしてその際に「焼却」された胎児の数は何体だったのか。Cその胎児の親に当たる入所者に何の連絡も行なわなかったのはなぜか。Dさらに「焼却」された胎児の両親―少なくともその女性入所者の氏名はぜひとも明らかにされたい。

 上記一、二、の項目についての回答は出来る限り速やかに願いたい。私たち全療協はこのたびの臨時支部長会議において別紙「声明」を決議している。標記「質問書」も当然これに基づくものである。 

以上

 (文中の氏名の伏字は筆者による。また「添付資料」は前掲の施設保管書類)


 なおこの「質問書」に「別紙」として添えた全療協臨時支部長会議(2006年2月13日〜15日)での「声明」も『全療協ニュース』と重複するが、あえてここに揚げておく。

声   明

 胎児標本の取り扱いについては、必要な手続きが済んだ段階でそれぞれ措置することとし、それ以上の遅廷は入所者感情からいって好ましくないと判断した。
 必要な手続き、措置とは、支部自治会と施設当局において、遺族等関係者との意見調整を前提にして行うべき、個別の火葬、納骨・合祀・供養、慰霊碑建立等の計画と執行である。
 その際、いかなる方法にせよ、国および施設当局による直接の慰霊、謝罪の意の表明を必要不可欠とする。
 なお、なぜ、これほどまでに大量の胎児および臓器標本が作成され、殆ど放置された状態で今日に至ったのか。或いは、闇雲に処理されてしまった園の分も含め、歴史的検証がまだ充分行われたとはいえず、強制された断種、堕胎、解剖の問題として今後共あらゆる機会をとらえ、その原因と責任の究明に努めるものとする。

 私たちは、第62回臨時支部長会議における上記の決定に基づき、幾百千の先輩療友たちの痛恨を胸に、ここに声明する。

  2006年2月15日
               全国ハンセン病療養所入所者協議会
               代 表  曽我野 一 美


さて、この「声明」に基づき当園東園長あてに藤田自治会長名で提出した先の「胎児標本に関する質問書」だが、結局東園長は当時の小林茂信元園長にこれを送付。したがって、小林元園長より東園長への回答の形で返されてきたものが、そのまま私たち自治会に届けられたので、これを施設当局の第一次の回答として次に紹介しておく。

―前略―ご質問の件、お答え致します。
        胎児標本に関する質問書

一、カルテ調査結果について

    記憶がない

二、胎児標本の処理について

  @焼却は厚生省の指示によるものか A施設当局の判断か

    指示なし、園長の判断。

  B胎児標本は何体だったのか。

    記憶なし。

  C胎児の親に当たる入所者に何の連絡も行わなかったのはなぜか。

    記憶なし。

 ―中略―資料もありませんし、記憶もうすれ、回答になりませんが、以上の通りであります。

              三月一日   小林茂信


 この小林元園長の「回答」をみるかぎり、「胎児標本」問題解決への道がいかに険しいものか、改めて思い知らされるのだが、しかしまたこのように「記憶なし」で済むことでは決してない。私たち入園者自治会は、全療協臨時支部長会議の「声明」にある通り、「今後共、あらゆる機会をとらえ、その原因と責任の究明に努め」て止まない。もちろん胎児遺族の心情からすれば、知らされぬまま五十年余も愛しいわが子がホルマリン漬けにされていたわけで、あるいは闇の中で処分されていたのだから、一日も早く葬儀・供養したいだろう。その実現へは、これも同じく全療協「声明」の指摘―即ち「国および施設当局による直接の慰霊、謝罪の意の表明を必要不可欠とする」ものである。

 そして折りしも、6月13日〜14日の両日にわたる「全療協・平成一九年度予算要求統一行動」実施最中の一四日、川崎厚生労働大臣との直接交渉の際、同大臣より「胎児問題についての謝罪」が行われた。行動に参加した藤田会長の報告もマスコミ報道の通りで、それは「患者、家族が多大な精神的苦痛を受けたことは誠に遺憾。心からお詫びをする」との言葉だったが、しかし先に紹介した国立病院課の「通知書」に示された「異常死の届出」や「検死の届出」はしない方針とか。これでは身元不明の胎児のDNA鑑定なし、また「新生児殺」も不問というわけで、厚労省の「謝罪」=「胎児問題隠蔽」でしかない。なお施設当局は、同月21日、やがてハンセン病研究センターから戻される胎児の関係者並びに同じく胎児遺族の桜井哲夫氏に対し、東園長が直接出向いて謝罪した。私たち自治会は胎児関係者や遺族の意思を尊重しながら、このたび新たに発見された一体を含む145体の現存する標本胎児と、すでに闇にまぎれて処分された数百に及ぶだろう標本胎児や、さらにこれまで3000をこえる強制堕胎児すべての冥福をかちとるため、検証会議解散後その事業を国民運動として発展・継承し、胎児問題でも徹底的な真相究明をめざす「ハンセン病市民学会」(藤野豊事務局長)との連携をいっそう強め、この問題での国の違法行為の幕引きをゆるさず、あくまで納得のいく検証を求めて全力を尽くすものである。
(06・6・22)


(原文では女性患者の氏名の一部が伏字になっているが、ここではすべて****としました。)



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