(写真をクリックすると大きい画像が見られます。)
現在の納骨堂には、全骨が2体、分骨が38体ですが、2体は林文雄先生と光田健輔先生の分骨です。何故光田先生の分骨が入るのかも、理解しがたい。日本のらい医学の権威で、全国の納骨堂に置いてあるか、??ここでも権威を当時の職員の手で誇示したのか?

全国の納骨堂で一番数が少ないのは、遺族が持ち帰っている。現在は、宗教を持っている方はそれぞれの、納骨堂を園外に持っている。金額は詳しく聞いていないが、現在療養されて入る方も、将来はだれも見る人がいないので、購入いたしています。

   
ここが最大のポイントです。記念公園内の一角に建立されています。林文雄先生と光田健輔先生の顕彰碑です。裏には2名の先生の名前が刻みこまれています。表には、

『らいは癒る・それは永い苦悩のたたかいであった・悲運に泣いた暗黒への歴史であった
 しかし・遂に稼った科学の進歩はこのいまわしい病を征服した。
 今、われわれは、この澄みきった南国の空のもとで
 太陽を体いっぱいに享けて立っている
 われわれは讃えたい・奄美のらい浄化に尽くした偉大なる先駆者・林文雄先生の業績を・
 その師たるらい医学の権威・光田健輔先生の功績を・
 われわれは踏み出そう・この碑のもとから・
 新しい未来に向かって・おそれないでくじけないで・

                            S・44年入園者&有志一同建立する。

と書かれている。
林文雄先生は、奄美から、多くの患者を見つけ星塚敬愛園に入園させた。経緯は、あるが、光田先生の名 前が何故??刻みこまれているのか?理解しがたい。日本においては、光田健輔医師は偉大存在であるし、権力の凄さが、90年のらい政策の過ちである事は、入園者は???


貞明皇后御歌碑

各園、それに韓国・台湾の療養所に建立されている
(詳しくはハンセン病資料館HPにて)

天皇陛下、皇后陛下行幸記念碑(昭和天皇)

特に奄美和光園は天皇家の行幸が多いのは、何故か?園当局は自慢みたいです。それに、昨年天皇陛下・皇后陛下が行幸された時に、非常に厳しい中で式典が行われた事を聞き、東京から、園の看護師にポエムを入れた。内容は、
「隔離生活90年裏表使い分け、ハンセン病の歴史・知る入園者何名?」 返歌には、皆様の90年歴史を覚えると返歌も出来ない程の苦しみを受けたのですね、の内容でした。


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