(写真をクリックすると大きい画像が見られます。)
解剖室・旧霊安室

昭和46年3月〜平成3年3月まで、使用する。 2000年6月29日(木)、裁判のために、保存目的で原告と福祉職員と室内を清掃する。そこで、「患者解剖・臓器」がホルマリン漬けで発見される。 そこには、大脳をいくつの袋に入れられホルマリン漬けのおきな瓶が2個発見された。他にも切断いたした足などがあった。その後に、施設側から、供養祭を行う。

現在の解剖室では平成3年まで、74体の解剖記録が残っている。


解剖室・件霊安室から、火葬場、納骨堂に行く道のりですが、左側には、自治会のスモモ畑で、春には白い花が咲きます。

口の悪い先輩は三途の道路といいますが、私が見れば少し手を加え公園化いたしたら、自然のままで、癒しの場と変革できます

旧火葬場

現在立ち寄り人もなく、無造作に、壊れるのを持っている。屋根には、数年の落ち葉で、野の花や、雑草に覆われている。ここで、どれだけの入園者が、火葬されたでしょう。

(昭和31年1月23日〜平成3年3月まで使用する。その後にボイラーのトラブルで、名瀬市の斎場で行い現在にいたる。 )
現在今にも壊れそうな火葬場の側面で壁は落ちていて、正面の入り口は鍵で閉ざされている。

火葬場の裏に当たる部分で、小生が会長時代に焼き坊主のために、休憩室を作った建物である。材料は、知人の建築業の社長に頂いて営繕で作った。隣のヘゴの木は、今は立派に育っている。すばらしい景観であるし、横にベンチの一つおいても絵になる

火葬場の裏にある小高い丘の上に「残骨入れ」。
コンクリートで3面張り入たし、上に屋根を作り入れていた。現在は落ち葉また雑草に覆われ、屋根しか見えない。ここも保存の価値がある。

火葬場の小川沿いの「ラッパ花」朝に一斉に咲き昼には下を向く花である。百合の花に似ている。

火葬場から、旧納骨堂に行く道のりに、落ち葉自然にたまり、ジュターンを敷き詰めた見事なコントラストであるが、だれも通らないからでもある。淋しい・・思いもする。
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